愛と革命を…ver3

恋愛コンサル(自称)事例解説 他仏教・歴史等

現代的思想への警鐘‥前半・仏教の三惑の視点

仏教には三惑(さんわく、あるいはさんなく)という概念があります。
今回は三惑の中の見思惑について、つらつら述べてみます。

①見思惑
これは見惑・思惑に別れます。
見惑とはこの世に生を受けてから後天的に習得した、物事の道理に迷う知的な煩悩。

見惑には、再度細分化して「五利使」という概念があります。

一、身見
我が身について「自我?」に堅く執着すること。

二、辺見(へんけん)
極端な考え方に持つこと。
例えば、自他の生命が死によって無に帰するという見方とか、死後も霊魂になって存在するとか、です。

三、邪見
因果の道理を否定すること。

四、見取見(けんじゅけん)
自己の劣っている見解を勝れてると思うこと

五、戒禁取見(かいごんしゅけん)
解脱の道でないものを道と思うこと。
ちょっと難しいですが、
「原因でないものを原因と思い、正道でないものを正道と固執する外道(原因は自分の外にある)の考え方とか」です。

上記、見惑には後天的な迷いであり、正しい理論、道理を理解すれば、直ちに除くこてができる鋭利な煩悩であるから「利使」といいます。

これに対して、
思惑とは、先天的に具わった、物事に対して執着して喜怒哀楽する情的な煩悩です。

またこれも細分化され「五鈍使」という概念に分類されます。

一、貪(とん)
むさぼる気持ちが強い煩悩或いは本能

二、瞋(じん)
些細なことでも怒る気持ちが強い

三、癡(ち)
道理が理解できない気持ちが強い

四、慢(まん)
自分が他者より優れてるという気持ちが強い

五、疑(ぎ)
疑い深く信じる気持ちが薄い

ちなみに五利使、五鈍使の「使」というのは、煩悩に人が使われてしまうところから来てます。

さて、皆さんちょっと難しいけど、お分かりいただけたでしょうか?

人間には先天的、後天的にあらゆる迷いがあります。

先天的な思惑は、本能的に備わっており、わかりやすいですが、やっかいなのは後天的な見惑ですね。

見惑は思想的な誤りであり、現代社会においても、やれリベラルだー、保守だー、とか、ポリコレだーとか様々あります。
これらは社会的な思想ですが、人間一人一人の尊厳という視点が忘れさられてるように思うのは私だけですかね?



人間の本質理解を基に構築されない社会的思想は脆弱であり、政府・企業の意思決定に重大な瑕疵をもたらす可能性があります。
それを取り戻すカギが上記仏教の視点にある気がします!!

↑(我見(笑)ww)