愛と革命を…ver3

恋愛コンサル(自称)事例解説 他仏教・歴史等

モテの分析(男性編) 自己肯定感について それの喪失時の対処療法など

今日は前回までのテーマと打って変って「モテ」についての一般的な考察を主観を交えながらしていきたいと思います。今回は男性編とありますが、女性の方々にも通じる側面がありますので、よろしくお願いします!



まず「標準理論」
~自己肯定感がある人はモテル~

以下でつらつらと解説していきます。



◆自信があるとき程モテル!
仕事でうまくいっているときは大概においてはもてます。自己肯定感が高いためです。
生物の本能として、♀は獲物がたくさんとれて、縄張り確保ができるオスに引き寄せられます。
ライオンなどはその最たる例です。

◆他社からの愛情が得られてるとき。
皆様もよくこういうのを聞いたことがありませんか?
「彼女ができてからモテるようになった!」
「結婚してからモテルようになった!」

この現象は他者からの愛情によって自己肯定感が増しているためなんですね!


じゃあ自己肯定感が上記パターンで得られないときは?


①ひたすら自己マインドコントロールを行う。
人間は自分に自信がないと、人前で自分らしい振るまいができないため、より自己嫌悪に陥っていきます。

氷室京介の例、
筆者の記憶が正しければ、初期BOOWYの氷室さんが
「自分より歌がウマイやつがいたら、どうするか?」という質問に対し、氷室さんは
「オレのほうがウマイと思い込む!」
ってさすがヒムロック
群馬の帝王らしい荒々しさが出た表現です。

↑この発言には一つの真理が含まれていて、他者評価と自己評価に解離が生じてる場合、自己評価を公正に高めてた人が勝つという真理です。

事実、BOOWYが出たあたりは他のバンドとかでもいいボーカリストがたくさんいました。

しかし、人々に多大なる影響を与えたのはBOOWYです。これはもちろん布袋さんの作曲・アレンジ能力もありますが、やはりヒムロックの圧倒的なボーカリストとしての存在感があります(主観)。

いやいや、オレはヒムロックみたくかっこ良くないし、オーラ無いッス、と言うかたはかつてブログで取りあげたNさんの話を思い出してください。


  
◎Nさんの場合
Nさんはかつてブラック企業に居て、心身共に病んでしまいました。
しかし、Nさんある方法で復活し、ホワイト企業に転職し成功していきます。
それは・・
鏡に向かって
「オレはできる!」「オレはやれる!」
と自分に言い聞かせたそうです。

これはいい意味での自己マインドコントロールですよね!いきすぎると現実と理想の解離に苦しんだりしますが。(^_^;)

お前はどうなんだ?って読者のかたは思った人いるでしょう(^_^;)

筆者は
もちろん「オレはモテル!」と自己マインドコントロールするときもあれば、
「時間が経てば復活する!」
と時の経過を待つパターンもあります。


◆モテルとは?
いきなり哲学的な問いになりましたが、
そもそも自覚がないモテルパターンもありますし、タイプじゃない人からもモテても意味がないですね、何が言いたいかというと、究極的にいうとモテルことが自分の幸せ感や価値観につながらないこともあります。ただ反面、人間は社会的生物であり、社会的に受容されることにより満足度が増します。

なので軽い感じで
モテル≠社会的満足≠幸福
と捉えていくやり方が一番気楽な気がしますが
皆様いかがでしょうか?

正解は皆さんそれぞれの中にあります(ズルい(笑))



つーか、ヒムロックかっこ良すぎ!!!!!

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【難報】仏教・三諦の概念

仏教では「空」「仮」「中」の三諦(たい)というものがあります。

中国天台宗、主に天台大師等が唱えられた説。空,仮,中の三諦のこと。諦とはサンスクリット語 satyaの訳語で真実にして明らかの意味で、真実の道理、真理という意味です。
◆空諦
空諦とはあらゆる物事にはおよそ実体というようなものはないという真理です。つまり、我々は生老病死などの四苦八苦や、成住壊空の定理に逆らえず、あらゆるものが因縁によって生滅し、不滅の実態などなく、無常であり、空であるということです。

◆仮諦
仮諦とは,すべての存在はいろいろな構成条件(因縁)によって成立しているから,存在するといってもかりの存在であるという真理。つまり、我々はこの姿形をしているのは、化学物質のように因縁によって仮和合しているという意味合いです。仮和合とは我々の姿形、能力、様々な形があることです。

◆中諦
中諦とは,あらゆる存在は空や仮で一面的に考えられるべきものではないという真理。つまり空でもなければ仮でもない。かつ、空であり仮でもあるという意味合いです。(空即仮等)。


この三諦は面白いですよね。とある達識な御高僧が

「空は皆、無常の理から逃れられ無いので平等」
「仮は皆、因縁よって様々な仮和合があるゆえに差別」
「中において、「空即仮」「非空即非仮」と円融に空と仮が溶け合ったのが実相」
とおっしゃってました。たしか(記憶曖昧)・・・・・。

また仮という概念はからは、あのマトリックスみたいな世界観がイメージできちゃいますね!
また、量子宇宙論からもホログラム宇宙論なるものがありまして、この世界は全てホログラムから構成されているという説もあります。



ホログラフィック原理 - Wikipedia

ja.wikipedia.org



いずれにしても仏教は奥深いですね~

(´Д`;)日本組織の風土病 責任の空気化、恐怖による集団主義

今回は前回、前々回等における太平洋戦争中の軍組織の責任システムと今の日本政府との類似性、継続性はいかなる要因にて形成されたのか?という課題を述べたいと思います。



まず前提に以下の概念を押さえておく必要がありますね。

ethos
エートスは、住み慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が 遵守する慣習や慣行であり、そのような慣習によって社会の成員によっ て、共有されている意識や実践のことをさす。エートスは集合的心情は、その当該文化の人たちの情動経験などというふうにも訳される。

端的に言うと、特定地域の文化慣習、精神的考え方の集合体であり、人々の意思決定や行動はこれに依る。

これはマックス・ウェーバーが提唱した概念で

西洋近代化の過程で、重要な要素になりました。


さて、日本においてはどうでしょうか?
ここで司馬遼太郎氏に登場していただきます。


◆ヤクニン

「世に棲む日日」は幕末期の吉田松陰高杉晋作を主人公とした、長州藩の動向を描いてます。

その中で幕末の英国外交官アーネスト・サトウからみた、典型的な江戸時代の役人が現れます。
ヤクニンという日本語はこの当時、有名な国際語になっていました。
さて、このヤクニン
「極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、漠然と「上司」という言葉を使い明快な回答を避ける」

では上司とかけあおう、と外国人が詰めていくと役人は言を左右し、やがて「上司」とは責任と姓名をもった単独人ではなく、「老中会議」とかのような煙のような存在で、生身の実体がないことに気づく。

つまり、幕末期からもこの責任のあいまいな行政システムはあったようです。

司馬遼太郎氏は余談で
太平洋戦争における実質的な責任者もよくわからない。誰が開戦のボタンを押したのすらわからない。幕末期の外交官達が驚いたように、東京裁判における各国の判事達も驚かざるを得なかった。とあります。


上記は幕末期~太平洋戦争あたりの話ですが、ではこのethosと言っていいのかわからない、日本の組織風土を、改めて司馬遼太郎氏に出てきてもらい、解釈の手助けをしてもらいましょう。

話は遡り江戸幕府創始者徳川家康の話
「覇王の家」です。

「覇王の家」は三河から出た徳川武士団が天下を制するにあたり、この三河武士団が江戸時代の官僚制風土を形成したことを指摘しております。

◆独創性を恐れ、かつ没個性的な組織
覇王の家では、
「家康は独創を激しく恐れた」
「後年、家康は死ぬ直前に、子の秀忠や幕府の閣僚たちに遺言としてのこしたのは、徳川幕府の制度は三河松平の小豪族だったころからの家政の制度にとおりにせよ、といい・・」
徳川幕府は進歩と独創を最大の悪とし、三百年間、それを抑圧しつづけた。」
「異は独創である、異を立ててはならないというのが徳川体制の一大政治思想であった。」
「また、個人の功名が讃えられた功利的な近世戦国武士のなかで、徳川武士団はより忠誠集団であった。」
と織田軍団とかとの対比で述べています。



◆責任体制の不明瞭化
また、家康特有の意思決定において
「秀吉との決戦には、かれの家来というよりは領国の人々の総意がそれを決めた、家康としてはその総意を執行すべく自分の身を犠牲にするのである、というふうに物事を持ってゆき、人々を納得させるのである。~このやりかたは家康が私淑してる武田信玄ですら採らなかった。」
ここで着目すべきは「総意」というワードです。
これなら誰の責任が不明確、不明瞭になります。
そして、ずるいことにみんな責任逃れが出きるのです(^_^;)


◆恐怖心からの内部統一性
再度、徳川武士団の特徴として
三河衆はなるほど類がないほど統一がとれていたが、それだけに閉鎖的であり、外の風を警戒した、この集団が天下の権を握ったとき、日本国そのものを三河的世界と観じ、外来文化を拒否するというようなものになった」

今日の日本人の恐怖遺伝子がここに極まったような表現ですが、妥当だと思います。


◆ethos化
「覇王の家」での家康の意思決定における「総意」。これは責任の主体、所在があいまいかつ不明確であります。
また、それに従う三河武士団の集団主義思考は我々日本人のDNAに刻みこまれている、あるいはethos化している可能性が大きいように思われるます。

凡そ組織とか国家とかはある程度のダイナミズムを持ち合わせているんですが、日本の組織の場合、硬直化しやすく、危機において対応不可能なレベルに成り下がるようです。


ま、我々日本人としてこういうのっていかが思いますか?

まー他国の組織もこういのはあるんでしょうが。

「失敗の本質」続き 継承される日本人のDNA 忖度 責任のあいまいさ

前回に続きまして「失敗の本質」

今回は前回に引き続き、ダラダラといきます。


B組織上の失敗要因
①人的ネットワーク偏重の組織構造
②属人的な組織の統合
③学習を軽視した組織
④プロセスや動機を重視した評価 



①人的ネットワーク偏重の組織構造
②属人的な組織の統合
まとめちゃいます。(^_^;)

ノモンハン事件、指揮系統の乱れ・・・・・・
陸軍中央の統帥部の指揮命令を無視した現地の関東軍ソ連軍と軍事衝突を起こしました。

中央統帥部の命令が実効性を持たなかった、なぜか?

ノモンハン事件の首謀者、辻少佐が象徴的です。
そこには参謀性システムの中に陸軍大学出身者内
の強固で濃密な人的ネットワークの形成がありました。

↑上記、結果として合理的であるはずの官僚制の中に、情実性があった。官僚制の合理的意志決定システムは発揮されず、根回し、等による意思決定が横行してしまいました。
(あれ?今の日本の政治や会社組織も同じじゃね?忖度とかさー)



本書はより本質をつき
日本軍の組織構造上の問題点は
「組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形式、選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮」と述べています。



③学習を軽視した組織
日本軍は失敗の蓄積・伝播を組織的に共有化されていませんでした。

ノモンハン事件では近代兵器の重要さを認識できるチャンスであるにも関わらず、軍装備の近代化を軽視しました。結果、ガダルカナルでも、日露戦争以来の正面からの一斉突撃が何度も繰り返されてしまいました。

とにかく日本軍組織は、失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくことはされていませんでした。


④プロセスや動機を重視した評価
軍の人事システムが例に挙がります
そこでは戦闘結果よりもプロセスややる気が評価されていました。

やる気って(^_^;)!?

ノモンハンガダルカナルでの辻に対する責任。
ミッドウェイでの南雲、以下幕僚等への責任不問。

やらかした方々が皆さん責任を問われない状態はいかがなもんでしょう?


また書によると、
個人責任があいまいさは組織学習を阻害した。
また、業績評価があいまいであったために、信賞必罰における合理性が失われた。
とあります。

皆さんも業績評価があいまいですと、やる気が削がれますよね。

というわけで、このような組織形態は現代日本にも色濃く残っています。

最たる例は菅総理の息子さんに接待をうけ、
入院という雲隠れしてしまった、山田さんやら。(^_^;)

https://news.yahoo.co.jp/articles/01c0c27257592672c78d54a7ddb3936c186ce965

↑一応においては職をとかれましたが、
何らかの処罰が無いんですね(^_^;)


あ、あと参考までに
前回ブログの空気の件。

https://diamond.jp/articles/-/186200

失敗の本質 継承される日本人のDNA 空気の文化等


さきほどのミッドウェイの件
fitzgerald1574.hateblo.jp




ちょい難しい話。

種は「失敗の本質」という本でした。
この書は太平洋戦争時の各作戦を抽出して、戦略、戦術、組織的要因、様々な角度から敗因を追及した名著です。



この書は大きくわけて
A戦略上の失敗要因
①あいまいな戦略目的
②短期決戦の戦略志向
③主観的かつ帰納的な戦略策定(空気の支配)
④アンバランスな戦闘技術体系
という構造になっております。

Bの組織上の失敗要因につきましては後日で(´Д`;)

①あいまいな戦略目的
ミッドウェイ海戦、レイテ海戦での事例
ミッドウェイ海戦
ミッドウェイ島攻略か敵空母殲滅か。
米国太平洋艦隊提督ニミッツに「二重の目的」と呆れられる。

※レイテ海戦
レイテ湾に上陸しつつある米海兵隊等の殲滅か
敵艦と艦隊決戦か。

大和、武蔵擁する栗田艦隊司令は艦隊決戦指向がぬけず、小規模の艦隊を追いかけ、レイテ湾突入を断念しています。


完全に作戦目標の統一性がないんです。大本営的にはフィリピン防衛は南方資源の輸送ルートの死守に繋がる戦略目標がありました。


②短期決戦の戦略思考
長期的戦争継続の見通しが無かったというのはご存知のとおり。
連合艦隊の目標はアメリカ艦隊に対して艦隊決戦を挑み、一挙に勝敗を決するという簡単なシナリオです。

山本五十六曰く
「是非やれと言われれば、初め半年や一年はずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし二年三年となっては、まったく確信は持てません」
が象徴的であります。

真珠湾奇襲にも上記思考のクセが出ました。
陸上のタンク、工場などの施設に手をつけずに、第一攻撃だけで引き上げています。

短期決戦志向の戦略は一面で攻撃重視、決戦重視の考え方と結び付いています。
反面、防御、情報、諜報に対する感心の薄さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れました。

戦時の餓死者数割合が戦没者の60%強140万人は餓死であったことは驚きであり、日本軍の兵站軽視を象徴していますね。



③主観的かつ帰納的な戦略策定(空気の支配)
書曰く
日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向があった。科学的思考すら持ち込まれなかった。

インパールの例
牟田口中将の「必勝の信念」に対し、補佐すべき幕僚は、もはや何をいっても無理だという空気につつまれてしまった。

※大和沖縄特攻作戦
作戦立案時に反対意見が強く出てました。
護衛機を持たないで、敵の制空権下で進撃しても沖縄まで到達不可能です。
しかし、理性的判断が情緒的、精神的判断に負けてしまいました。

軍令部の小沢中将は
「全般の空気よりして、当時も今日も大和の特攻出撃は当然と思う」と述べております。

つまり上層部や現場指揮官の会議上においては、
科学的思考、戦略的思考ではなく、情緒的、感覚的な「空気」が支配していました。


④アンバランスな戦闘技術体系
戦艦大和に代表されるような一点豪華主義をとるかと思えば、「風船爆弾」のようなねが作成され、投入されました。

なにしてるんだか?という感想が出てきます。

大和は対艦隊戦用に建造された艦ですが、対空戦闘に弱いのと、性能の悪いレーダーとそれにリンクした射撃管制システムが遅れており、挙げ句、海の藻屑になってしまいました。
ここに技術体系のアンバランスをみてとれます。


B組織上の失敗要因
①人的ネットワーク偏重の組織構造
②属人的な組織の統合
③学習を軽視した組織
④プロセスや動機を重視した評価


つきましてはまた後日で。


ちなみに上記戦略失敗の特性は現在の日本の組織、個人に継承されていると思います。そこで以下の概念を理解する必要があると思います。


参照・ethos
エートスは、住み慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が 遵守する慣習や慣行であり、そのような慣習によって社会の成員によっ て、共有されている意識や実践のことをさす。エートスは集合的心情は、その当該文化の人たちの情動経験などというふうにも訳される。

端的に言うと、特定地域の文化慣習、精神的考え方の集合体であり、人々の意思決定や行動はこれに依る。


さきほどのミッドウェイの件
fitzgerald1574.hateblo.jp




ちょい難しい話。

種は「失敗の本質」という本でした。
この書は太平洋戦争時の各作戦を抽出して、戦略、戦術、組織的要因、様々な角度から敗因を追及した名著です。



この書は大きくわけて
A戦略上の失敗要因
①あいまいな戦略目的
②短期決戦の戦略志向
③主観的かつ帰納的な戦略策定(空気の支配)
④アンバランスな戦闘技術体系
という構造になっております。

Bの組織上の失敗要因につきましては後日で(´Д`;)

①あいまいな戦略目的
ミッドウェイ海戦、レイテ海戦での事例
ミッドウェイ海戦
ミッドウェイ島攻略か敵空母殲滅か。
米国太平洋艦隊提督ニミッツに「二重の目的」と呆れられる。

※レイテ海戦
レイテ湾に上陸しつつある米海兵隊等の殲滅か
敵艦と艦隊決戦か。

大和、武蔵擁する栗田艦隊司令は艦隊決戦指向がぬけず、小規模の艦隊を追いかけ、レイテ湾突入を断念しています。


完全に作戦目標の統一性がないんです。大本営的にはフィリピン防衛は南方資源の輸送ルートの死守に繋がる戦略目標がありました。


②短期決戦の戦略思考
長期的戦争継続の見通しが無かったというのはご存知のとおり。
連合艦隊の目標はアメリカ艦隊に対して艦隊決戦を挑み、一挙に勝敗を決するという簡単なシナリオです。

山本五十六曰く
「是非やれと言われれば、初め半年や一年はずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし二年三年となっては、まったく確信は持てません」
が象徴的であります。

真珠湾奇襲にも上記思考のクセが出ました。
陸上のタンク、工場などの施設に手をつけずに、第一攻撃だけで引き上げています。

短期決戦志向の戦略は一面で攻撃重視、決戦重視の考え方と結び付いています。
反面、防御、情報、諜報に対する感心の薄さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れました。

戦時の餓死者数割合が戦没者の60%強140万人は餓死であったことは驚きであり、日本軍の兵站軽視を象徴していますね。



③主観的かつ帰納的な戦略策定(空気の支配)
書曰く
日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向があった。科学的思考すら持ち込まれなかった。

インパールの例
牟田口中将の「必勝の信念」に対し、補佐すべき幕僚は、もはや何をいっても無理だという空気につつまれてしまった。

※大和沖縄特攻作戦
作戦立案時に反対意見が強く出てました。
護衛機を持たないで、敵の制空権下で進撃しても沖縄まで到達不可能です。
しかし、理性的判断が情緒的、精神的判断に負けてしまいました。

軍令部の小沢中将は
「全般の空気よりして、当時も今日も大和の特攻出撃は当然と思う」と述べております。

つまり上層部や現場指揮官の会議上においては、
科学的思考、戦略的思考ではなく、情緒的、感覚的な「空気」が支配していました。


④アンバランスな戦闘技術体系
戦艦大和に代表されるような一点豪華主義をとるかと思えば、「風船爆弾」のようなねが作成され、投入されました。

なにしてるんだか?という感想が出てきます。

大和は対艦隊戦用に建造された艦ですが、対空戦闘に弱いのと、性能の悪いレーダーとそれにリンクした射撃管制システムが遅れており、挙げ句、海の藻屑になってしまいました。
ここに技術体系のアンバランスをみてとれます。


B組織上の失敗要因
①人的ネットワーク偏重の組織構造
②属人的な組織の統合
③学習を軽視した組織
④プロセスや動機を重視した評価


つきましてはまた後日で。


ちなみに上記戦略失敗の特性は現在の日本の組織、個人に継承されていると思います。そこで以下の概念を理解する必要があると思います。


参照・ethos
エートスは、住み慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が 遵守する慣習や慣行であり、そのような慣習によって社会の成員によっ て、共有されている意識や実践のことをさす。エートスは集合的心情は、その当該文化の人たちの情動経験などというふうにも訳される。

端的に言うと、特定地域の文化慣習、精神的考え方の集合体であり、人々の意思決定や行動はこれに依る。

繰り返される愚行・・ミッドウェイ海戦と東京オリンピック・・・・

南雲機動部隊と今時の政策決定者・・・

なんの話しと申しますと、
1942年におけるミッドウェイ作戦時の
南雲機動部隊と、今の政策担当者が似たような状況下にあるんでは、との考えです。

ミッドウェイ作戦とは
ハワイより北のミッドウェイ諸島海域で行われた日米の空母決戦です。
みなさんご存知の通り、日本の完敗!
しかも、虎の子の空母4隻、航空機があっというまにオシャカになったので笑えません。




このときの機動部隊の司令官、南雲司令は異なる作戦目標が命じられていました。
①敵空母を発見、撃滅
ミッドウェイ島の制圧、占領

これはキツいですよね。
どっちを優先すべきか?迷いますよね。


しかも南雲司令は水雷戦隊出で、航空戦にはあまり熟知しておりません。

また島への攻撃と空母等への攻撃は、兵器そのものが変わります。・・・・

兵器を変えようとオタオタしてるときに米軍機の攻撃にあい、約6分間の合間に日本空母が撃破されてしまいました。・・・・



つまり、アメリカ機動部隊に待ち伏せに合い、完敗。かわいそう・・・・・


ひるがえって今の政策担当者はいかが
また二つの目標があります。
①コロナ抑制
②オリンピック開催

いやいや、またご冗談を(笑)

もし南雲さんが今の世に転生してたら、今の政策担当者に
「俺と同じ苦労をしやがってΣ(ノд<)」
と言うでしょう。

戦争と疫病とお祭りは別次元だと考えるむきもありますが、私はこの類似性には涙を禁じ得ません。