愛と革命を…ver3

恋愛コンサル(自称)事例解説 他仏教・歴史等

【経済社会】経路依存性・習慣と合理性

今日はちょっとまたむずかしい話ですいません・・・・・



経路依存性(けいろいぞんせい、英: path dependence)は人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。

よくある話なんですよ。
皆さんパソコンのキーボードが何故あんな配列がわかりますか?
タイプライターが主流だった時代、あまり速くタイプするとタイプライターが壊れてしまうため、あえて打ちにくい配列になったといわれています。人々はその打ちにくい配列に慣れてしまいました!結果としてパソコンの利用が主流となった現在でも、キーボードはタイプライターの列を引き継いでいます。

つまり、歴史的にqwertyの配列の背景がどうであれ、その配列を至極当然のように使用している。皆さんそこには合理性とかの考えは入る余地が無く、当たり前の制約あるいはルールみたいなものに支配されてるという事実ですね。


さて、卑近な例でこれを男女間におきかえると、とある田舎で、なんだか知らないうちに幼馴染みと結婚して家庭を作りましたって話しになりそうです!(偏見)

ここにおいて、新しい出会いを求めることのリスクやら、慣れ親しんだ人や家族と連れ合うことの安定性、等の行動要因があります。


そう、今さらキーボードの配列を変えることは、安定性やリスク要因になり得るのです。

こう考えると、昔からの風習なり習慣なりに従うことは意外と経路依存的には合理性がありそうな気がしますよね~(主観)